二十歳の原点とちきりん氏

1.

二十歳の原点/高橋悦子

名前を知っているだけで、読んだことのない本はたくさんある。

この本はそんな本のひとつだった。

ちきりん氏は、11歳のときこれを読み、「強い衝撃を受けた」と書いている。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110210

ちきりん氏がこれをアップロードしたとき、僕はこの本を読んでいなかった。

読んでみよう、話はそれからだ。

そうして僕は購入ボタンを押した。

2.

二十歳の原点」は、著者に開示承諾を得ることなく刊行された日記だ。

綴られた文字は、他者の目を全く意識していない。

一般市民がこぞって出力するオンライン時代でさえも、

発信者は、他者が読むことを前提として作稿している。

いわんや、執筆を生業とする者が、脳内をそのまま開陳することはない。

多いに恥ずかしがり、分厚い服を着せてから人前に出す。

二十歳の原点」に残されているのは、考えていること、そのままだ。

生々しく、強い衝撃がある。

まるで心臓から噴出する血のようだ。

彼女は、死の間際、「人間ども」と書いた。

最近の例でいえば、「保育園落ちた、日本死ね!」だろうか。

考えていることそのままは、こぎれいなものではない。

そして、これが人の有姿(ありすがた)なのだろう。

3.

書かれている内容は、僕からみれば幼い。ものすごく幼い。

しかし、20歳が幼いのは当たり前だろう。

おむつを交換して貰わずに大人になった人間などいるだろうか。

青春が青春であることに、一体なんの問題があるだろう。

ただひとつ、否をいうことがあるとすれば、彼女が自殺したことだ。

4.

自殺の心理学/高橋祥洋が提示するデータによると、

25歳をピークとして、20-30歳のあたりに若齢期の自殺のピークがある。

(著者は出典をつけていない。おそらく警察庁の統計による。)

こういう言い方もできる。

  ヒト種は、若齢期に自殺のピークを持つ。

もう少し、情報を出すと、最初の自殺のピークは出生時だ。

出生後、臍の緒を切られて、自呼吸の開始を迫られる。

このとき、酸素の自給を拒否した個体はそのまま死ぬことになっている。

次にくるのが、自らの精神の世話の自給を迫られるときだ。

他給の幼年時代を終え、自分で自分の精神を支えることを迫られたとき、

いくらかの個体は、自給を開始せず、自殺する。

親が、自己中心性の個体、ないしは、虐待性の個体であった場合は、

幼年期から自給訓練をすることになるけれど、

彼女は、長い間、愛情深い両親に念入りに肯定してもらっていて、

大学に入ってはじめて、訓練をはじめたようにみえる。

周りの人間は、彼女の優越欲・勝利欲の世話をしようとはしなかった。

周りの人間は、彼女の依存欲・他責欲の世話をしようとはしなかった。

彼女は高卒のウエイトレスとして暮らしていくところまで辿り着いたようにみえるが、

そこで、自活の苦痛と優越枯渇に耐えかねて、自殺したようにみえる。

5.

彼女を笑うのは自由だ。

しかし、最初に自分を支え始めるとき、楽だった者がいるだろうか。

大人になると、九九を覚えるのが大変だったことを忘れてしまう。

僕は、高校生のとき、国名や百人一種を覚えるのが大変だったことを覚えている。

初めての取り組みが大変であると記憶に残る状態で、精神の自給訓練を開始した。

誰も頼ることはできない。

条件に自己肯定を肩代りさせることは、きっぱりと拒否した。

「(他者ではなく)私がお前を生かす」

「(他者ではなく)私がお前を守る」

「(他者ではなく)私がお前を肯定する」

「(他者ではなく)私がお前をしあわせにする」

繰り返し繰り返し、着任する。

初心者の尽力に、精神は不満を述べ続けるが、訓練はやめない。

内発は繰り返し、幼少期らしい、優越の夢に戻ろうとする。

その度に、序列を肯定から排除する。

内発は繰り返し、幼少期らしい、依存の夢に戻ろうとする。

その度に、主権を奪い返し、自分が与える側に立つビジョンに切り替える。

九九を覚えるのは1年で十分だが、主権の安定には5年ぐらいかかったことを覚えている。

6.

依存擁護されている人は、自給開始の必要がない。

また、内発不分離の障害がある人に内観は無理で、内発に乗っ取られた思考しかできない。

上記の人は、成人年齢でも、人生に着任していないだろう。

高橋悦子は、そのいずれでもなかった。

20歳。十分な知能があり、自分の欲望と苦痛を文章にすることができた。

時とともに、見事な精神体になったはずだ。

せめて、精神上の先人がいれば。

人生を始めるのは、勝利や依存の夢と違って、楽しくはない、

はっきりいえば大変だけど、有意義なことだよ、と説く先人がいれば。

甘ったれるのも大概にしろよ。文句があるなら、60歳まで生き延びたところで

聞いてやるよ、と笑う先人がいれば。

破綻が見えている彼女のやり方を諌め、地道な訓練を見守る人はいなかった。

自殺で、すべての可能性が失われてしまった。

7.

漫画「タッチ」は、同い年の少年を事故で無くした少年が主人公らしい。

池田小事件のクラスメイト達は、心に幼い友を抱き続けている。

兄弟姉妹を亡くした者、学校の親友を亡くした者達の多くは、

死者を心に抱き、その先の人生を生きているだろう。

ちきりん氏は、高橋悦子氏が生きるはずだった、その先の人生を生きている。

ちきりん氏は、高橋悦子氏と一緒に過ごしてはいない。

ちきりん氏にとって、共感を感じる相手は、11歳の一般人の少年少女ではなく、

高い知能を持ち、強い内発に苦しむ20歳の女性だったのだろう。

ちきりん氏は、生き延びることの優先性を、この本から得たようにみえる。

生き延びることだ。話はそれからだ。それ以外のものは上に置いてはいけない。

思索性の個体は、内発処理を誤ると、精神をやられるらしい。

自分の場合、強迫性をうまく処理できなければ、まずいことになるっぽい。

8.

成人を前に死んだ個体は、生まれてくる意味がないのだろうか。

労働力として利用できない結果に終わった、歩留まり品なのだろうか。

僕の答えは、ノーだ。

命のベクトルが残された者を勇気づけないことなどあろうか。

命の試みが役に立たないことなどあろうか。

どこで、どのように力尽きようとも。